Twitterでちょっと書いた「共感覚」の話の続き。
私は「共感覚」というものがあるようで、文字や数字や色や音楽などに色をがついてる感覚があります。
共感覚はオーラとか霊感とかスピリチュアルなものではなくて、
(混同してる人がたまにいますが)
言語、視覚、聴覚や嗅覚などを処理する脳の領域がきちんと区切られていなくて、音楽を聞いてるのに味を感じるとか、匂いを嗅ぐと形を感じる、というように、感覚刺激を受けると別の知覚も連動して働いてしまう現象らしいです。
画像は、自分が感じているひらがなの色を書き出してみたもの。
実際に視覚でこのように、文字に色がついてるのが見えるわけではなく、黒で印刷された文字は黒く見えるのですが、モノクロで印刷されたりんごの写真を見ても「りんごは赤い」という概念は変わらないように、私にとってひらがなの「あ」は赤いものなのです。
共感覚を持つ人には、音に味を感じたり、匂いに形を感じたりと、いろんなタイプがいますが、私はとにかく文字にも数字にもアルファベットにも色がついてるタイプで、音楽を聞いてもこの曲は緑で、この曲は赤いというように、必ず色を感じますし、芸能人にも、友達にも、家族にも、みんな色がついています。
漢字にも色がついていますが、音読みと訓読みで色が変わったりします。
そして数字には性別やキャラクターまであります。
例えば、数字の2は水色で爽やかな少年
3は黄色で太った男の人
8はワインレッドでトランスジェンダー
1〜10の中で女性は4だけで、紫っぽいローズピンク色をしています。
どうして頭の中がこんなことになってしまったのか。
これは少しだけ記憶があって、子供の頃見た数字の絵本みたいなものに、数字の「2」は湖に浮かぶスワンの絵が描いてあった気がするのです。
その水色が頭に残っていて、昭和の時代水色は男の子の色だったので、少年のキャラクターになったのではないかと。
「3 」は絵本の挿絵で、雪だるまの絵だったかも?
とにかく太ったイメージで、太った人=戦隊モノのゴレンジャーのカレー好きなキレンジャーを
を連想してしまって、そこから「3」に黄色の色がついてしまいました。
私は絵や色が好きだったので、子供の頃文字や数字を覚える時に、そこに一緒に描かれていた絵や色やその場の風景や思い出など、関係ないものまで一緒にファイリングしてしまったことが原因と思われます。
赤ちゃんの頃は感覚を処理する脳の領域が曖昧で、例えば、強い光と強い音と言う刺激を区別できずに、どちらもただ衝撃と感じるようですが、大人になればちゃんと五感の区別がついてくる。
共感覚の人は、この区別が未だに曖昧なところがあるのではないかという説を本で読みました。
どうやら脳みその間仕切りがちゃんとしてないせいで、私はどんどん思考が横飛びします。
例えば、最近トイレの中で「火垂るの墓」の映画を思い出して号泣してしまいました。
なんでそんなことになったのか、数分前まで遡ってみると、
その時自分はお腹を壊してしまっていて、
そのことから突然火垂るの墓の節子のセリフ、
「うちな、おなかおかしいねん」「もうずっとビチビチやねん」
というのが節子の声で脳内で再生されて、
その後、栄養失調でお腹の調子がおかしいのに、医者に行っても無碍に扱われる「火垂るの墓」の兄妹の姿などが芋づる式に浮かんできて、トイレの中で排泄しながら「戦争…早く終わって」と世界平和を願って号泣するという、意味不明な状態になっていたのです。
カレーを作ろうと思ったら、普通はカレー粉と肉と野菜を買いに行こう、というように思考は一列に進みますが、私の場合、カレーを作ろうと思ったら、2時間後海にいる、というような、間が繋がらない思考をしているのです。
なぜ海にいるのか?
トイレで節子の声が聞こえてきた時みたいに、自分の中では理由があるのですが、
なぜそうなったのかを遡ることは、普段はほとんど不可能です。
(実際にカレーを作るときは集中しているのでちゃんとカレー作れます。日常生活にあまり支障はないです)
この横っ飛び思考は、漫画を描く能力に間違いなく深く関係しています。
私は物語を考えて作っているのではなく、自分で考えてもいない物語が突然降って来る、ということは度々書いていますが、脳の配線がごちゃごちゃになっているが故に、一つの刺激でいろんな記憶が呼び起こされたり、頭の中の様々なスイッチが無秩序に押されるうちに、横っ飛び思考の連想ゲームがはじまり、自分でも想像もつかないようなものにたどり着いたりしているんだと思います。
そのように、自分でもよくわからない「ゾーン」に入った時に、物語は降りてくるのです。
共感覚がない人に共感覚のことを説明すると、頭のおかしい人みたいに思われることもあるので、普段は説明しないのですが、どういう原理でそうなってるのか、一度丁寧に解説してみたくて書いてみました。
共感力は、厨二病的な特殊能力とかではなく、考え方や感じ方の癖みたいなものです。
でも自分から共感覚がなくなったら、漫画を描く事は多分できなくなると思います。
私は「共感覚」というものがあるようで、文字や数字や色や音楽などに色をがついてる感覚があります。
共感覚はオーラとか霊感とかスピリチュアルなものではなくて、
(混同してる人がたまにいますが)
言語、視覚、聴覚や嗅覚などを処理する脳の領域がきちんと区切られていなくて、音楽を聞いてるのに味を感じるとか、匂いを嗅ぐと形を感じる、というように、感覚刺激を受けると別の知覚も連動して働いてしまう現象らしいです。
画像は、自分が感じているひらがなの色を書き出してみたもの。
実際に視覚でこのように、文字に色がついてるのが見えるわけではなく、黒で印刷された文字は黒く見えるのですが、モノクロで印刷されたりんごの写真を見ても「りんごは赤い」という概念は変わらないように、私にとってひらがなの「あ」は赤いものなのです。
共感覚を持つ人には、音に味を感じたり、匂いに形を感じたりと、いろんなタイプがいますが、私はとにかく文字にも数字にもアルファベットにも色がついてるタイプで、音楽を聞いてもこの曲は緑で、この曲は赤いというように、必ず色を感じますし、芸能人にも、友達にも、家族にも、みんな色がついています。
漢字にも色がついていますが、音読みと訓読みで色が変わったりします。
そして数字には性別やキャラクターまであります。
例えば、数字の2は水色で爽やかな少年
3は黄色で太った男の人
8はワインレッドでトランスジェンダー
1〜10の中で女性は4だけで、紫っぽいローズピンク色をしています。
どうして頭の中がこんなことになってしまったのか。
これは少しだけ記憶があって、子供の頃見た数字の絵本みたいなものに、数字の「2」は湖に浮かぶスワンの絵が描いてあった気がするのです。
その水色が頭に残っていて、昭和の時代水色は男の子の色だったので、少年のキャラクターになったのではないかと。
「3 」は絵本の挿絵で、雪だるまの絵だったかも?
とにかく太ったイメージで、太った人=戦隊モノのゴレンジャーのカレー好きなキレンジャーを
を連想してしまって、そこから「3」に黄色の色がついてしまいました。
私は絵や色が好きだったので、子供の頃文字や数字を覚える時に、そこに一緒に描かれていた絵や色やその場の風景や思い出など、関係ないものまで一緒にファイリングしてしまったことが原因と思われます。
赤ちゃんの頃は感覚を処理する脳の領域が曖昧で、例えば、強い光と強い音と言う刺激を区別できずに、どちらもただ衝撃と感じるようですが、大人になればちゃんと五感の区別がついてくる。
共感覚の人は、この区別が未だに曖昧なところがあるのではないかという説を本で読みました。
どうやら脳みその間仕切りがちゃんとしてないせいで、私はどんどん思考が横飛びします。
例えば、最近トイレの中で「火垂るの墓」の映画を思い出して号泣してしまいました。
なんでそんなことになったのか、数分前まで遡ってみると、
その時自分はお腹を壊してしまっていて、
そのことから突然火垂るの墓の節子のセリフ、
「うちな、おなかおかしいねん」「もうずっとビチビチやねん」
というのが節子の声で脳内で再生されて、
その後、栄養失調でお腹の調子がおかしいのに、医者に行っても無碍に扱われる「火垂るの墓」の兄妹の姿などが芋づる式に浮かんできて、トイレの中で排泄しながら「戦争…早く終わって」と世界平和を願って号泣するという、意味不明な状態になっていたのです。
カレーを作ろうと思ったら、普通はカレー粉と肉と野菜を買いに行こう、というように思考は一列に進みますが、私の場合、カレーを作ろうと思ったら、2時間後海にいる、というような、間が繋がらない思考をしているのです。
なぜ海にいるのか?
トイレで節子の声が聞こえてきた時みたいに、自分の中では理由があるのですが、
なぜそうなったのかを遡ることは、普段はほとんど不可能です。
(実際にカレーを作るときは集中しているのでちゃんとカレー作れます。日常生活にあまり支障はないです)
この横っ飛び思考は、漫画を描く能力に間違いなく深く関係しています。
私は物語を考えて作っているのではなく、自分で考えてもいない物語が突然降って来る、ということは度々書いていますが、脳の配線がごちゃごちゃになっているが故に、一つの刺激でいろんな記憶が呼び起こされたり、頭の中の様々なスイッチが無秩序に押されるうちに、横っ飛び思考の連想ゲームがはじまり、自分でも想像もつかないようなものにたどり着いたりしているんだと思います。
そのように、自分でもよくわからない「ゾーン」に入った時に、物語は降りてくるのです。
共感覚がない人に共感覚のことを説明すると、頭のおかしい人みたいに思われることもあるので、普段は説明しないのですが、どういう原理でそうなってるのか、一度丁寧に解説してみたくて書いてみました。
共感力は、厨二病的な特殊能力とかではなく、考え方や感じ方の癖みたいなものです。
でも自分から共感覚がなくなったら、漫画を描く事は多分できなくなると思います。
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