今月のアフタヌーン発売中。
無事「金のひつじ」の最終回が載っています。
66ページ!! 多かったー!! (上の写真は66P分のデータが完成したところ)
3巻発売は4月23日予定です。
読み切りの「ラブレター」も収録予定なので、是非よろしくお願いします。
まだ単行本作業やってて、終わった実感ないので、全然関係ないことを書きます。
一番好きな映画は「エイリアン2」と答えると笑われます。なんでだ。
小学校の給食の時間に放送で流れて、ビショップが真っ二つになるところを見て吐きそうになったのが最初なんですが、今見てもめちゃめちゃ面白くて、ワクワクして、額に入れて飾りたいようなシーンがたくさんある。
どんなにお金をかけても、すごいSFXや体を張ったアクションを見せられても、面白くない映画ってたくさんありますよね。
頑張ってるのに面白くない物語というのは、主人公のモチベーションに共感できない、またはモチベーションそのものがちゃんと描かれていないんだと私は思うのです。
つまり、どんなに一生懸命な激しい戦いを見せられても、その戦う理由に共感できなければ、赤の他人の殺し合いを見ているだけであり、痛い怖い描写も不快なだけなのです。
「エイリアン2」の主人公のリプリーは、「エイリアン1」で命からがらエイリアンから逃げ出して、やっと地球に帰ってきます。
だからもう二度とエイリアンと戦いたくない。つまり最初はモチベーションゼロです。
リプリーが乗っていた脱出艇は、リプリーがコールドスリープで眠っていた間に、地球に帰ってくる軌道を外れ、長い間宇宙をさまよっていました。
ようやく発見されて地球に戻って目覚めた時、地球では何十年も経っていて、なんと自分の娘は歳をとって先に死んでしまっていたのでした。
娘の消息について、完全版でないとカットされていると聞いたのですが、私的にはこれは後のリプリーのモチベーションに関わる、絶対にカットしてはならない重要事項です。
悲観に暮れているところへ、また他所の星でエイリアンが出て住人と連絡が取れないから、経験者として調査に同行してくれと頼まれるリプリー。
冗談じゃないですね、毎日エイリアンの悪夢を見るし、娘は死んじゃってるし、そんな気力あるわけないです。
しかし、マッチョな海兵隊を護衛につけるからと説得され、嫌々エイリアンのいる星へ旅立ちます。
植民地として開拓中だったその星は、エイリアンに襲われて廃墟になっていましたが、リプリーはたった一人で生き残って隠れていた小さな女の子、ニュートを見つけます。
このニュートとの出会いが、リプリーの胸に火をつけます。
案の定エイリアンがどんどこ襲ってきて、マッチョな軍人達もあっという間に殺されてリプリーとニュートは孤立してしまいます。
しかし何が何でもニューとだけは守る!!と、リプリーは俄然やる気に。
ニュートもエイリアンにさらわれてしまいますが、リプリーはニュートを救うべく、一人でエイリアンの巣に突っ込んで行くのです。
燃えたぎる母性!!
でも一番大きな女王蜂のようなエイリアンも、実は卵を産んだばかりのお母さん。
生まれてくる子供の栄養にするために、せっせと人間をさらって居たのです。
卵をリプリーに燃やされてぶちギレるエイリアン。
もう最後はおかん同士、渾身の殴り合いです。
小さきものを守りたいというのは、誰もが共感できるモチベーションではありますが、更に娘を失ったリプリーだから、小さなニュートを守らずには居られないのが伝わって来ます。
ニュートが居なかったらきっとリプリーの気力は尽きて、生きては帰らなかっただろうと思います。
ちなみに「エイリアン3」ではあんなに頑張って守ったニュートが死んでるところから始まると聞いて、何してくれてんねん!!と激怒したわたくし、以降シリーズ見てません。
そこまでモチベーションを叩き折られたリプリーがまた戦うなんて、そこにどんな理由があっても、私は共感できないし、「2」でニュートを守り切ったリプリーへの侮辱だと思うのです。
続編を無理やり作るために、登場人物のそれまでの生き様を無に帰すようなことはしてはならないと思います。
生き生きとした作品を作るには、キャラクターをリスペクトすることが大切です。
ちなみにこの「キャラクターのモチベーションをちゃんと描く」という点において、メトセラは失敗したなあ、と今でも思っています。
爺様を亡くして、なんとか気力を奮い立たせたい、そのためにメトセラを獲りたい!というマチカのモチベーションには共感してもらえると思いますが、レインがなぜ600年も生き続けているのか、目的がなんなのかということは3巻まで明かされないため、序盤のレインは掴み所がなくて、共感できないキャラクターになってしまいました。
作品のテーマというのは「主人公がどうすれば気がすむのか」という部分に直結します。
モテない→好きな人と結ばれたい
大切なものを失った→立ち直りたい
誰かに傷つけられた→復讐したい
というように、まず主人公にストレスがあり、それを解消することを目的として彼らは動き出します。
その行動の起源が作品テーマなのです。
でも、ようやく復讐を果たす場面に来ても心満たされず、敵と分かり合い許しあったら気が済んだというようなラストになったら、テーマは「復讐」ではなく「愛」だったということになり、より作品が深まり行くかもしれません。
悪役にも悪を遂行する理由、モチベーションがあり、これを一切描かなければ「悪いやつはただ理由なく悪い」という勧善懲悪の物語になります。
それが間違っているわけではなく、どのように描くかは作者の選択です。
漫画家志望の方々は、登場人物の行動原理であるモチベーションをちゃんと決めているか、描いているか、最後には主人公の気が済んでいるか、振り返ってみると良いと思いますよ。
金のひつじの主人公達も、自分の鬱屈がどうすれば晴れて、どうしたら気が済むのか、右往左往しながら探し求めて、ついに最終回にたどり着きました。
ぜひ見届けて下さい。
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